地震から自信へ
2月14日は元旦の地震から45日が経ち、インパックの物流、製造機能が戻った日でもありました。金剛さん、仲二見さん、副社長の3名が1月2日から様々なことを考え、方針を立て、3日の役員会で復旧の方向性を聞くことが出来ました。4日からは一部の従業員の皆さんも参加し始め、45日間でここまで来ました。素晴らしいことだと感じでいます。
2月14日は県知事、復興相の政務官もお越しになりました。工場の中を見ていただき、知事は「ここは大丈夫」と小声で言っていました。確かにその夜テレビの中で近くの工場が映し出されていましたが、工場の天井は全て落ち、まだ何も出来ない状態でした。勿論、単純比較はできませんが、その時インパックは既に製袋が始まっていました。
更に協力者も現れました。同業者もいれば近くの建設会社など、復旧のため様々な会社が入ってくれました。
まずは仕事の出来る環境にする、建物などの復旧はその次といった明快な方針が功を奏しました。インパックはいち早く復興の段階に入りました。
それまで情報はいくつもあったものの、工場がどんな状態にあるのかつかめずにいましたが、元旦の真夜中、所長からの何枚もの写真でインパックの工場の様子が分かりました。現状把握がその日の内に出来たのです。その数時間後には副社長と仲二見さんは能登に向かい走っていました。昼過ぎ、金剛さんと合流し危険の中、工場内を見て、今後の復旧に対する考え方をまとめていきました。
翌3日には臨時役員会をZOOM開催し、現地の3人と東大和の役員との間で今後の方針の確認をいたしました。現在はその時立てた方針通り進めています。
今回の事で、私はあり得ない環境を経験しましたが、一連の動きを見てインパックの対応力は素晴らしいものがあると感じました。巨大地震ではありましたが、復旧に突き進みました。出荷・製造は45日間で元に戻せました。
その元は「インパックは必ず復活する」という信念だったと思います。未だ道半ばではありますが、この信念をインパック共通の支えにしてはどうでしょう。
この後時間をかけ建物を全て直します。