感謝
長くご無沙汰申し上げました。お詫び申し上げます。
暫くお休みを頂き入院していました。大変失礼いたしました。入院10日、自宅療養25日ほどで会社に出て参りました。前回は入院後の自宅にいた期間は5ヶ月に及びました。同じ病気でしたが、今回はそれから見ると随分早く元に戻れました。大変ありがたい話です。
今回寝ている間、様々なことを思いましたが、最も強く思ったのは伊藤和夫様の事でした。私が初めて杏林大学病院に入院したのは40歳の時でした。海外から戻った翌日、伊藤和夫様(オーデリック社長)から紹介を頂き杏林へやってきました。一人では歩くことが出来ませんでした。伊藤様はこの時杏林大学病院の理事をお務めだったと思います。町の病院であった新川病院が伊藤様はじめ地域の経済界から資金的な応援を得て一気に杏林大学病院まで待っていくその過程は伊藤様からよく伺っておりました。
それから20年経ち、私はとある難病で何度目かの入院したその日、海外にいるはずの伊藤様と同じパジャマ姿のまま検査室でばったりお会いした時、誰にも言ってはいけないと、強く釘を刺されました。難しいご病気でした。
28歳の時、私はオーデリック(当時オーヤマ照明)羽村工場の資材置き場で伊藤様にお会いしました。その時伊藤社長は「あなたがこれからもオーデリックと取引を続けたいなら1日も早くメーカーになりなさい」どこかで造ったものを仕入れ、販売を続けるなら取引は出来なくなる。無論私も出来る事ならそうなりたいと思ってはいてもどうすれば出来るのか見当もつきませんでした。その後花の袋を手がけましたが、当時の日本では花の袋(スリーブ)を作る所がなく、インパックで製造することを決めました。製造したスリーブを直接ユーザーに販売するモデルはこの時出来上がりました。伊藤社長のお話から35年ほど経っていました。現在では約2億枚を製造販売するところまで来ています。その始まりは伊藤様です。
伊藤社長は明らかに命の恩人であり、ビジネスの恩人でもあります。感謝に耐えません。