石橋湛山
現在テレビ、ラジオなどでポスト石破の話でもちきりの様です。本当は私たちはこんなのんびりした言い方をしてはいけないのですが、自民党の弱体化の真の原因があるのに、全て石破さんでは少々問題です。
私はこんな時、いつも思い出す方がいます。石破さん(いしば)と名前がそっくりの石橋(いしばし)さんの話です。吉田首相と岸首相の間に立った石橋湛山首相のことです。首相就任期間は僅か56日間でした。羽田首相が55日でしたから現在では就任期間二番目の首相となっています。しかし石橋湛山の56日間は厳しく、激しい日々でした。その間、ほとんど入院をされていました。
自民党の総裁になるにも大変でありました。政敵は明らかに岸さんです。総裁選に石橋さんは打って出ました。そして岸さんに勝ち、総裁になりました。しかし総裁の座に就いた直後
そのお祝いの席で2月にコートも着ず風邪をひき、さらに拗らせベットの上の人になり、ついに国会に一度も出ることができませんでした。所信表明演説も岸さんが代読をいたしました。その後国会を開くことができず、首相退陣の話は連日のように持ち上がりました。石橋さんを見る聖路加病院の医師団はあと2か月の治療ができれば必ず元に戻るといっていました。さらに日本社会党の浅沼稲次郎さんは「とにかく寝たままでいいので一回国会に出て一言話してくれれば、あと2か月待ってもいい」と言われました。これは破格の扱いです。社会党も石橋さんには大きな期待があったのです。
彼は当然自分の体調を知っていました。破格の扱いを受けるわけにはいかず、ついに辞任となりました。
わたくしが興味を持つのは基本的考えの中に「小日本主義」というのがあります。これは戦前の話ですが、大日本主義とは全く反対の主張でした。さらに彼は戦前から民主主義者でした。その後大学の学長を務め、日蓮宗の権大僧正を務めました。戦後はGHQに逮捕されていました。本当の愛国者でもありました。さらに東洋経済の社長も務め言論人でもありました。このように多様な面を持つ石橋湛山に大きな魅力を感じ尊敬しています。
おそらく無念であったでしょう。