白鳥入蘆花
これは禅語の白馬入蘆花を下村湖人が白鳥に書き換えたと聞いています。次郎物語が好きな私は「白鳥入蘆花」の方にすっかりなじんでしましました。
辺り一面真っ白な蘆の花の中に、一羽の白鳥が舞い降りる姿を想像しただけでも心が洗われます。蘆の花は多少揺れるでしょうが、白鳥がどこにいるか瞬間で分からなくなります。つまり花を揺らした元は誰か分からないのです。自宅には10年ほど前、下村湖人の生家を訪ねた折、そこを守っておられるご老人から頂いた書の写しを飾っています。
おそらくこれは湖人の人生観なのでしょう。勿論出来るわけはありませんが、私もその精神を受け継ぎたいと考えています。蘆花は間違いなく白鳥が舞い降りたところを中心に波の様に揺れ広がっています。鳥はどこにいるかも分かりません。しかし明らかに花はそこを中心に広がっているのです。
私の場合、つい黒鳥入蘆花のようになってしまいますが、人生の最後に一つ、世の中に役立つ仕事を白鳥入蘆花のごとく行いたいと考えています。